21.05.27

 ひとを見送る。一緒に見送ったひとが、いつも見送られていたから見送る側になるのは初めてと言っていた。歳を重ねていくにつれ見送ることが増えていくのかもしれない。見送りとはひとと隔たってしまうことを受け止めるための儀式だ。行ってしまった後ではもう遅いので、見えなくなる前に、すでに隔たったことにする。新幹線で祖父母を見送ったとき、いつまでも手を振っていた。窓から見える祖父母が見えなくなったらやめよう、と思っていたのが、祖父母が乗っている車両が見えなくなったら、新幹線が見えなくなったら、わたしが東京の方面へ背を向けるまで、という風に、見送りはどこかでいなくなる瞬間を仮定しなければ、無限遠に向かって手を振り続けることができてしまう。見送りは送られる側ではなく送る側のためにやっているのかもしれない。ひとがそこからいなくなるとき、いなくなるその人の身代わりを置いていくような儀式。これからここからはいなくなりますよ、という宣言が、後々その人が確かにここにはいないのだという証明になるような儀式。見送らせてくれるひとは優しいのだと思う。