21.05.19

 朝、霧雨が降っていて、鞄の中に押し込んだ傘を掘り出して差すか迷いながら、そういえば梅雨入りしたらしいことを思い出す。例年通りにいけば、梅雨入りしたあたりで自分の誕生日がやってくるはずなのだが、今年は少し早くて、まだ歳を一つ取る準備の整わないまま天気だけが先に一年を一巡りしたのを感じながら、張り合いのない雨の中を駅まで歩く。

 その日は平日が多かったような気がする。そうすると記念すべき朝にも、それを噛み締めないままに学校や仕事には行かなければならない。目が覚めて、ベッドを出て、階段を降りる途中くらいまではたしかに感じていたであろう、わたしが数年前の今日生まれたのだという事実のもたらす驚きは、校舎やオフィスで過ごしているうちに薄れていってしまう。一年のうちでただ一つ少なくともわたしにとっては特別であるはずの日を迎えた傍らで、世界は全くわたしの預かり知らないところで運行していく。そのうち祝われることもどこか申し訳なくなって、誕生日というものに無頓着になってしまった。わたしが自分で自分を祝福できるようになるのは21歳の誕生日を待たなければならなかった。

 誕生日のピークは目が覚めた瞬間に訪れる。夢は夢の中でリアルで、まるで誕生なくこの世に生きているような、わたしの現在にひもづく因果なんかそこにはないようなことが全身で信じられてしまっている宙吊りの時間から放り出されると、朝の日光と空気とともに、誕生日が突然目に口に流れ込んでくる。eventの語源はexとvenirで、催事は突如わたしの外からやってくる。祝福すべきことには、祝福するための儀式がある。そんな儀式を、あたかも儀式なんか初めからなかったかのように、本気でそれがやりたくてやっているんですという風にやるのは白々しくて小っ恥ずかしいので、それは突然外からやって来たものなので、いまこうして儀式のルールに則って応対しているんです、ということにしてみる。誠実な祝福なんてきっとそれくらいでなければできない。